@article{oai:seijo.repo.nii.ac.jp:00003342, author = {小河原, あや}, issue = {17/18}, journal = {成城美学美術史}, month = {Mar}, note = {P(論文), 2010年夏の北海道夕張市にて、映像と記憶に関するワークショップが行われた。このワークショップは、財政破綻以来変わりつつあるこの街の現在の様子を記録し、それを過去の夕張市の映像と共に編集して、そうしてできた作品を住民に見てもらうことによって、映画映像をきっかけに住民の記憶を呼び起こすことを目的とした。しかし、夕張市の歴史的状況を念頭に入れたこのワークショップ映画は、繁栄した過去/荒廃しつつある現在という紋切り型、既成のナラティヴに当てはめてこの街を表象する結果となり、個人的な記憶を呼び起こすのは難しかったと考えられる。夕張についての紋切り型の表象、既成のナラティヴは、映画『幸福の黄色いハンカチ』(山田洋次監督、1977年)に顕著である。この映画の中で夕張は、高度経済成長に取り残された「古き良き日本」の紋切り型で表象されている。またこの映画はフラッシュバックの技法を用いて登場人物の過去の回想を表すのだが、これは過去を、紋切り型と同様に、それが起った時の状態のまま変化しないもの、事物が或る時点の状態にとどまっているものとして理解し、記憶を、過去の振り返りとして表している。このような記憶理解は、過去の夕張を紋切り型、既成のナラティヴに当てはめて表した我々のワークショップ映画に共通する。ダミアン・サットン著Photography, Cinema, Memoryによれば、記憶の概念には二種類ある。一方は、過去に作られた記憶を現在の時点から振り返るというものであり、これはクロノロジカルな時間概念に基づいている。他方は、時間を現在と過去の「結晶」とする考えに基づく「創造的記憶」、すなわち、過去が現在と協働して、この現在の瞬間に新たな記憶を創造するというものである。サットンによれば、映画においては、線的な上映時間枠の中で複数の映像が次々に現れるゆえにクロノロジカルな時間表象がされやすいのに対して、写真においては、事物が一つの枠内で示され、撮影された時点(過去)とそれを見る時点(現在)とが不合理に結ばれるゆえに、時間の「結晶」において記憶が創造的になる。しかし、映画においても創造的記憶は可能である。例えば、上述のワークショップ映画には、或る夕張の風景の映像が突如として説明無しに現れるときがある。このような映像は、映画の線的な時間上に成立するナラティヴを拒み、映像そのものとして突出する。観客は、それを現在の瞬間に注視し、自ら新たなナラティヴを創造せざるを得なくなるだろう。このとき、映画映像において創造的記憶が働くと考えられる。}, pages = {133--140}, title = {映画映像における時間と記憶 : 夕張の映像から}, year = {2012} }